お久しぶりです。
久しぶりに書いてみようと思います。
今回は、『教養としてのテクノロジー』という本について書きたいと思います。
人間は必ずしもお金のためだけに働くのではなく、人生の意味を考えることが重要である。生きる意味や人生の本質を探求することが、豊かな人間性や充実感をもたらすのです。そのことがこれからのAI時代でも大きな意味をもたらす。伊藤穣一さん・アンドレーウールさんの著書『教養としてのテクノロジー』は、このテーマについて深く考察しています。
本書では、通貨のデジタル化が進むことで仮想国家の誕生が可能になるという視点が注目されています。メタバース化と呼ばれるこの現象は、仮想世界の構築や仮想通貨の流通など、現実世界とは異なる新たな経済圏の形成をもたらすと考えられています。
しかしながら、私たちが直面するべき課題の一つは、何でもかんでも経済的な価値に置き換えてしまう傾向です。政界やビジネス界においては、美術品や学位なども経済的な価値の対象として捉えられることがあります。しかし、人間の生きる意味や人生の豊かさは、単なる経済的な価値だけでは測ることはできません。
アメリカでは、アンスクーリングと呼ばれる教育手法が注目されています。これは、子供たちを学校に通わせずに高い自主性により、社会から様々なことを学ばせる方法です。アンスクーリングでは、いい成績のための受動的な学習よりも、自分の興味のあることに対して積極的に学ぶことを重視しています。これにより、子供たちは自己成長や創造性を発揮し、将来につながる力を身につけることができます。
『教養としてのテクノロジー』は、現代社会やこれからのAI時代における教育や働き方のあり方について刺激的な示唆を与えてくれます。私たちは、単に経済的な成果や物質的な豊かさに囚われるのではなく、人生の意味や豊かさを見出すために、より深い思考を重ねる必要があります。
私は、アンスクーリングの考え方で確かにテストの勉強などはなかなか頭に入らないのに、趣味のことは良く頭に入るなと感じます。このことからそういう考え方も面白いなと思いました。
引用